はたらき方の可能性を
拡げるメディア

楽しいの裏側

お客様と共に生きて、一緒に年をとっていきたい 楽しいの裏側 vol.2 美容師・中山 智明

2018.11.16

美容師2

『楽しいこと』の裏側にはどんな仕事があるのでしょうか?連載「楽しいの裏側」第2回は、埼玉県さいたま市土呂町で美容院を経営する中山智明さんです。19歳でハサミを持ち、20年以上美容師として活躍してこられた中山さんに、お客様とどのように向き合ってきたのか、どんな働き方の転機があったのか、などじっくりお話をうかがいます。

第2回 美容師・中山 智明

美容師はお客様の装いを演出する職業で、高い技術力とコミュニケーション力が求められるクリエイティブな職業です。一方で、土日の労働、立ち仕事などから大変な仕事というイメージもあるのではないでしょうか。そんな中、第一線で20年以上活躍されている中山さんは、ある強い想いを持ってお客様に向き合い続けています。

中山:「ありがとう」の言葉がいつしか感謝の言葉ではなく、挨拶の言葉として受け取るようになっていたかもしれません。今後の働き方をどうするか迷っていたとき、認知症の方が集まる介護施設へ訪問し髪をカットしたことがありました。そのとき、涙を流して「ありがとう」と言われたんです。「ありがとう」ではなく「有り難う」だったと言えばいいのか。美容師という仕事が尊いものに見えたし、見方が変わった。人生を賭してやり続ける価値のある仕事だなと本気で思いました。今、土呂という町で店を構えていますが、お客様へ真摯に向き合い、より良いサービスを提供していきたいと考え運営しています。お客様の足腰が悪くなって美容院に来られなくなっても訪問してカットし、一緒に歳を重ねていきたい。そういう美容師でありたいです。

仕事の「大変さ」を「楽しさ」に変え、そしてお客様の装いをどう演出しているのか、中山さんの素顔にせまりました!

第一回はこちら! 楽しいの裏側 -vol.1 フィギュア原型師・森脇 直人ー

美容師としてのキャリアは浅草から

――美容師になろうとおもったきっかけを教えてください。

美容師になるぞ!という想いの強い学生ではありませんでした。当時、私の意識は「なんの仕事をするのか」よりも「どう生きるのか」が強かったと思います。というのも、学生時代はあまり素行が良くなく(笑)、親に迷惑をかけっぱなしでした。親に迷惑をかけるのはもうやめよう。実家を出て両親に頼らず生活していこう。自分の手で稼いで生きていくぞ、と高校3年生の時に決心して進路指導の先生へ相談に行きました。浅草のとある美容院が、住み込み可で美容学校に通いながら働ける環境だったことを発見し、すぐさま応募。これで自立できると胸が高鳴りました。

――美容師としてどんなキャリアを歩んだのでしょうか?

自分のキャリアを振り返ると特殊だったなと思います。親からの自立が大目的という進路決定で、住み込みで学校に通いながら放課後と学校が休みの日はサロンワークという美容師になりました。しかも下積み1年で2年目の19歳からハサミを持って現場に入っています。浅草の美容院から始まり、2度別の美容院に移籍したのち、1年休職。再度美容師として復帰して、6年前に独立しています。

――最初の浅草での働き方はどうでしたか?

美容師3

浅草の美容院は、床屋と美容院を兼ね備えたユニセックスサロンという位置づけの美容院でした。また、下町らしい人情味あふれるお客様の多いエリアで、例えば近くの天ぷら屋の前を歩いていると、美容院の常連である天ぷら屋の女将さんが私の腕をつかんで「天ぷら食べて行きなさい」と可愛がってくれることがありました(笑)。一方で、風貌の恐いおっちゃんのパンチパーマを巻かなければならなかったり、技術や接客が気に入っていただけないと「あなたは私の頭に触らないで」と叱責を頂くこともあったり、テレビで見るようなドラマが毎日起こるような場所でしたね。

――その後、2度別の美容院に移籍されたのはどんなきっかけだったのでしょうか?

浅草の美容院を退職した理由は、美容師の面白さを感じ始めてパンチパーマはちょっと違うな……と(笑)。床屋ではなく美容師に集中するため環境を変えました。移籍後の美容院では22歳の若さで店長を任せていただくことになったのですが、結果的にはこの抜擢が原因で再びする職場を変えることになりました。技術力はまだまだ半人前だったにも関わらず、肩書が邪魔をして部下に技術的な質問ができない環境が自分の成長を止めていると感じたからです。職人としてこのままではダメだと思い、全国に約60店舗をかまえ、研修制度の整っている大手サロンに移籍をしました。この移籍は自分にとって大成功で、技術力の向上が結果にも結び付きトップクラスのスタイリストになりました。カットだけでなくシャンプーなどの物販でもトップの売上を叩きだすことができたんです。

――休職されたのはその後ですよね。トップ美容師になったのになぜですか?

当時30歳手前で今後の働き方をどうするかを考えていく中で、趣味だった筋トレやサーフィンから体を使って人の役に立つ仕事、例えば消防士といった職業に変えてみようかと考えることがありました。自分で納得のいく成績を残せて美容師としてやり切った感があったので、仕事を変えても逃げではない。ゆっくり考えながら仕事を決めようと思い、結果的に1年間前線から離れました。休職中は趣味のサーフィンをしながら、時々認知症の方々が集まる介護施設に訪問して、利用者の方々の髪を切るボランティアをしていました。そこから再度美容師として復帰し、6年前に独立。今に至ります。

お客様の“なりたい”をかなえる職人

美容師4

――中山さんにとって美容師とはどのような仕事なのでしょうか?

お客様の“なりたい”を叶える職人だと思っています。10代駆け出しのころは「目指せ、カリスマ!」といった自分本位のスタンスでした。今とは真逆です。お客様がどう“なりたい”のかを対話を通して的確にとらえ、お客様のためになるサービスを提供する。“イケてる”美容師像を表現しようとした瞬間、お客様の気持ちを汲み取ろうとする意識が薄くなってしまうので良いサービスができなくなってしまいます。10代の自分に会ったら「チャラチャラするな!」と叱り飛ばしているかもしれませんね(笑)。

――働き方を変えた2つの転機とは? -大手サロンの評価制度-

美容師5

自分本位の仕事から目覚める機会になった2つのきっかけがあります。1つ目は大手サロンの評価制度がきっかけです。それ以前は「指名された数」で美容師としての評価をされていました。ところがこの大手サロンでは、「3ヵ月以内の再来店比率」で評価します。これは衝撃的でした。

どちらも技術力が高くなければ、指名もされないし再来店もないでしょう。その前提で、指名数を増やすためには、私を気に入ってもらうため印象を強く残す動きが必要です。一方で担当させていただいたお客様の再来店比率の場合、印象を残そうと自分を出しすぎると、「技術力が高くても個性が強すぎてこの人とは合わない」という評価をされてしまう可能性が高まります。技術に徹し、黒子となり、お客様のなりたい姿を叶えていく方が結果を出しやすい構図になっていたんです。

例えば、香水を付けたとします。10人中5人が良い香りだと感じ、私への印象もプラスに動くかもしれません。しかし、残りの5人は香水が嫌いだったとすると、再来店しなくなるリスクが高まります。この評価制度があったおかげで、言葉遣いや服装などお客様に違和感を与えないよう心掛け、いかにサービスを喜んでもらうか考えるきっかけになりましたし、美容師としてのスタンスや考えそのものが変わることになりました。

――働き方を変えた2つの転機とは? -認知症施設でのカットの経験-

2つ目のきっかけは、認知症の方々が集まる介護施設でのカットの経験です。認知症の方の介護は非常に大変です。介護する人からすると、髪が長いと面倒が増えてしまうので、本人の意志に関係なく全員短く髪をそろえる……ことが当たり前になっていました。ところが、私は大手サロンでの働き方そのままに、どんな装いになりたいかをヒアリング。「孫が週末遊びに来るからキレイになりたい。」「襟足がくせっ毛で、ちょっと伸びるとはねてしまう。」そんな話を聞きながら一緒に髪型を決めて髪を切っていきました。被介護者ということもあり、顔が傾いてしまっていて、なかなかうまく切れない部位があるような難しいケースが多い現場でしたが、時間をかけてでも丁寧に切っていこうと取り組みました。その姿勢を見てなのか、みなさんが泣いて喜んでくれたんです。「素敵な髪型になった、有り難う」と。ありがとうという言葉が、これほどまで胸を熱くするのかと素晴らしい体験をさせていただきました。

美容師に限らずサービス業で働くことが好きな人の多くは「ありがとうと言ってもらえる仕事」という理由で続けられていると思います。当時を振り返ると、「ありがとう」の言葉が日常の当たり前の風景になってしまい、お客様の「ありがとう」という言葉を挨拶程度の言葉として受け取ってしまっていたような気がします。もしくは、利益追求のためにお客様にとって本当に良いサービスができなくなってしまい、気持ちのこもった「有り難う」が出てこないサービスに従事していたかもしれないと考えさせられました。

美容師としてお客様と共に生きていく

美容師

――美容師としての意識が変わり、現在の店舗で大事にされていることは?

「お客様のためになることを徹底的にやりきる。」この一言に尽きると思います。例えば、今まで勤めたサロンは利益を重視する経営でした。シャンプー、トリートメントなど商品のラインナップを選ぶ基準は良いものかどうかより、利益率と利益額が大きいかどうかが大事でした。それはそれで当然なのですが、今はそういうスタンスで経営したくないので、商材を提案してくれるディーラーの方には「高くても良いので本物をを持ってきてほしい」と必ず伝えています。

お客様を「お待たせしない」ことも大事にしています。予約を取ったのに15分待つ、シャンプー台が空いていないから待つ、最後の仕上げだけ残しているが担当者が他の方のカットをしているので終わるまで待つこれでは誰もいい気持ちになりません。お客様を決してお待たせしない予約の受け方をし、貴重なお時間を無駄にさせてしまわないように心掛けています。

――その他のこだわりはどんなものがあるのでしょうか

土呂に店をかまえたことが、こだわりでしょうか。この近くには浦和や大宮といった大きい駅がありますが、そこで店舗を出すことは考えませんでした。そちらの方がビジネスチャンスは大きいかもしれませんが、人の流動性が大きくて長い期間お客様に寄り添った店舗経営が難しいと思ったからです。認知症介護施設での経験から、お客様と共に生きて、一緒に年をとっていく、どちらかの最期の時まで…そんな思いでこの地を選び経営しています。

土呂で6年やってきて、最近思い描いていた経営に近くなってきたなと実感することも増えてきました。長く通って下さるお客様が増えて、「今後、もし足腰が悪くなって美容院に来られなくなっても大丈夫ですよ。訪問して切りにいきますからね」、こんなことをお客様に伝える場面が時々出てくるようになりました。実際はまだ先かもしれませんが、こういうコミュニケーションをとれる関係性になれた事は最高の喜びで、感慨深いものがあります。

――今後の展望は

お客様に寄り添っていくためにも、自身の健康は重要です。トレーニングや栄養の採り方、害のある添加物の事など、他の美容師さんが持たない知識をお客様に提供し続けていきたい。体力には自信がありますが、この先10年20年となると1人のチカラでは限界がくるので想いを共にできる方を採用、育成し、スタッフ4人くらいで土呂に根付いていければなと思います。

美容業界は“長時間労働”で“福利厚生なし”が当たり前の世界。休みも給与もしっかり得られて笑って働けるサロンを作りたいですね。「美容師」という職業の魅力を伝えられる店舗にしていきたいです。

明日やろうはバカヤロウ

――最後に、好きな事を仕事にしたいけどその一歩を踏み出すか迷っている若い人に、メッセージをお願いします!

やっちゃいましょうよ、真面目な話として。やり始めると課題が出てきます。やり始めると結果を出すために工夫する必要が出てくるし、やるべきことが自然と見えてくるはずです。やらないことには何も始まらないし頭に描いていることは妄想で終わってしまう。「明日やろうは、バカヤロウ」私が自身に言い聞かせている言葉ですが、本当にそうだと思っています。


 

・取材/文/撮影:細川瑛司

RANKING

注目のキーワード