“人の機械化”が生産性アップの鍵!?元グーグル及川氏が語る、AI社会に備える方法。

2017.07.28

こんにちは。WorkSwitch編集部です。AIなどテクノロジーの進化が急速に進む昨今、人々は機械との共存について考える時期に差し掛かっています。AIと人が共存する未来に、私たちはどんな心構えで臨めばいいのでしょうか。その問いに迫るために、今回はグーグル、マイクロソフト、インクリメンツで、エンジニアリングマネージャーやプロダクトマネージャーとして活躍された及川卓也氏に寄稿いただきました。及川氏は文の中で「人の役割や人との関わりを再定義する」ことについて勧めています。さっそくその真意について迫ります。

及川卓也 (おいかわ たくや)
早稲田大学理工学部卒業後、外資系コンピューター企業へ入社。研究開発、マイクロソフトでの日本語版・韓国語版Windowsの開発統括を経て、グーグルにジョイン。プロダクトマネージャとエンジニアリングマネージャを務める。2015年11月より、プログラマのための技術情報共有サービス「Qiita」やドキュメントを軸としたコラボレーションサービス「Qiita:Team」を提供するIncrementsへ。プロダクトマネージャを務める。現在は、エンジニアのキャリアプランニングやエンジニアリングマネジメントなどの領域で顧問やアドバイザーとして活動中。


機械との競争

昨今、人工知能やロボットなどの機械が人の仕事を奪うという議論をよく聞きます。どちらかという悲観的な論調が多いのですが、機械によって人の役割が置き換えられることは悲観すべきことばかりではありません。

ショートショートで有名な作家、星新一氏に「セキストラ」という作品があります。この作品で、星氏は弱い電流を流す装置を人体に取りつけることで、性的快楽を得られる社会の到来を描いています。彼の先見性の高さは他の作品でも見られますが、この作品において描かれている未来は、インターネットとウェアラブルによって実現されつつあります。

実際、VRやウェアラブルを組み合わせれば、今でもバーチャルセックスは可能でしょう。リアルさを求めるならば、オリエント工業のラブドールに精密なフィードバック制御を可能としたTENGAでも装着すればよさそうです。イギリスでは、このような技術について議論するLove and Sex with Robotsという会議まで毎年開かれるようになっています。

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(出典:LSR2017ホームページより)

性交という人間の尊い営みまで機械に置き換えられてしまうことを嘆くかもしれません。しかし、単なる性的興奮を処理することだけを考えるならば、「恋愛という行為は無駄」と考える刹那的な生き方をしている人がいても不思議ではありません。

以前、リリー・フランキー氏が若手俳優と地方を旅するというテレビ番組を見たことがあります。番組の中で彼が若手俳優に自分の携帯で写真を見せ、「これ◯◯ちゃん」と自宅においてあるラブドールを見せびらかしていました。「お前、まだ生身の人間なんかと付き合ってんの」ーーたしかこのように笑いながら話していました。

少し極端な例から紹介しましたが、人間の仕事が機械に置き換えられる例は枚挙に暇がありません。もっと現実的な例としては、配送センターのオペレーションがあります。どの棚にどの商品が置かれているかを把握し、配送に必要な商品を棚から取り出し、梱包する。そして、商品ごとに棚を整理し、人が判断しやすいように配置する。これらのオペレーションはすべて人によって行われていました。しかし、最近では機械に置き換えられつつあります。 

次に、商品の配置などを機械が行うようになりました。機械が配置した商品は、一見すると、人が取り出す上で不便そうに見えます。しかし、これは最も速く出荷準備ができるよう機械が最適化した配置で、人は機械の指示通りに棚から商品を取り出すことで、効率的に出荷準備ができるようになったのです。これは機械化されたオペレーションの一部に人間が組み込まれた例です。(この次に、この人間の作業はロボットに置き換えられました)。


ド・ラ・メトリ (著), 杉 捷夫 (翻訳)『人間機械論』岩波文庫

人間機械論

18世紀、フランスの哲学者ラ・メトリは人間を機械に見立てる「人間機械論」という考え方を提唱しました。これだけ機械化された現代社会においては、人間関係と同じように、社会に組み込まれた機械に対してどのように相互作用するかを考えることも必要です。

先ほどの配送センターと同じような例は今日のIT社会では珍しくありません。例えば、ソフトウェアの多言語化が必要になったとします。メニューや説明文などに使われている日本語を英語や中国語へ翻訳する必要が生じた場合、以前は日本語の文が作成される度に翻訳を依頼し、取得した英文や中国文をソフトウェアに組み込んでいました。

しかし、これには翻訳プロセスが他のソフトウェア開発プロセスから独立しているという問題があります。ソフトウェア開発者がメニューや説明文を変更するたびに、日本語の文を抽出して、翻訳を依頼するという手間が発生し、時間もかかります。

今日のソフトウェア開発はスピードが命であり、頻繁にソフトウェアを更新することで、利用者のニーズに合わせるようになっています。一昔前と異なり、パッケージを店頭で販売するという手法ではなく、Webであれば公開と同時に利用者の手元に届くことになりますし、スマートフォンアプリであってもストアからすぐに更新できます。このような背景があり、「継続的インテグレーション」と呼ばれる開発手法で、常にソフトウェアは更新され、テストなどが行われるようになっています。この継続的インテグレーションを行うに際して、翻訳というプロセスが独立していることは望ましくありません。

そのため、このようなニーズに応える翻訳サービスが誕生し、機械でも翻訳が可能になりました。機械翻訳の場合は日本語の文を入力すると、翻訳先のターゲット言語が即座に得られるので、継続的インテグレーションに組み込めますが、人力での翻訳も同じように組み込めるようになっているのが最近の翻訳サービスの特徴です。

継続的インテグレーションの中でまず、翻訳元の言語の文章が入力されます。それを翻訳サービスのAPIと言われるソフトウェアが連携する窓口のようなところに提出し、その結果をまたソフトウェアに戻すということが行われています。機械翻訳の場合は即座に結果が得られますが、人力の翻訳の場合は少し時間がかかります。翻訳結果が入り次第それを取り込むことができます。

これらはソフトウェアの開発過程に、人が行う作業が組み込まれた他の例といえるでしょう。他にも、AmazonのMechanical Turkも同じように、汎用のクラウドソーシングでの作業をAPI経由で利用可能ですし、日本でも寺田倉庫がminikura APIという形で物流の一旦をシステムに組み込むことを実現しています。翻訳サービスもクラウドソーシングも物流もすべて人が中心のサービスです。つまり、これらはすべて人が機械化された社会に組み込まれた例なのです。

人間関係の定義

ここまで、少しディストピアな感じの社会をお話しましたが、機械化された社会に組み込まれる場合だけでなく、人と人との関係も、APIのようなものでクリアに定義されているといろいろとはかどります。LINEなどのソーシャルサービスにおいて、会話のやめ時に困ったことはないでしょうか 既読マークがついてしまったために、ひとこと返したら、それに対して相手も返してきて、会話をやめたいのにやめられない。こんな経験がある人は少なくないと思われます。

コンピューターネットワークでは、自分の送ったデータが相手にきちんと届いているかどうかを確認するために、ACK(Acknowledgementの略)とNACK(Negative Acknowledgementの略)という簡単な応答を使います。これにより、必要ならデータの再送をしますし、きちんと相手にデータが届いていることを確認できたならば、次のデータの送信を行います。チャットで1つ1つに返事をするのが面倒なときには、このACKやNACKを返せば、良いでしょう。チャットのやめ時がわからないときも、ちゃんと読んでいるというだけの情報を相手に返せば良いのならば、ACKとだけ返せばよいです。コンピューターネットワークではACKに対して、ACKと返していてはキリがないので、返さない決まりとなっていますが、チャットでも同じようにすればよいでしょう。

ACKとNACKだけでは情報量が足りないのならば、HTTPというWebを支える通信技術を模倣してもよいでしょう。皆さんも、存在しないWebページにアクセスしたときに、404というエラーコードが表示されたのを目にしたことがあると思います。実は、Webでは、「状態コード」というWebの状態を表すコードが定義されています。200は無事に成功した場合。このときは皆さんはWebページをご覧になっているので、この状態コードを目にすることはありません。そして、500はサーバーの内部エラーです。チャットでこれをこのまま利用してもよいですし、自分たちで新たな状態コードを定義してもよいでしょう。

実は、筆者は実際にこれを試み、相手を酷く怒らせてしまったことがあります。「私は機械ではない。馬鹿にするな」と、その方は憤慨していました。深く反省し、二度とこのようなことは行っていませんが、それでもここまで極端ではないにしても、機械に扱われることを考えるときのように、人間の行動のパターンを定義し、さらには自分のことを定義するのは、人間関係にとっても意味があるはずです。

日本はハイコンテクスト社会と言われます。厳密にはそうではありませんが、単一民族で単一言語と信じられている社会において、いろんなことが阿吽の呼吸で行われます。「あれやっておいて」とか「なんか、こうバーンとやって欲しいんだよね」など、英語にするのが苦労するような日本語がまかり通っています。ハイコンテクスト社会は生きやすいという側面もありますが、一方で本当は理解し合えていないにも関わらず、わかったふりして付き合っていることもあります。仕事も漏れが発生しがちです。

戦後の高度成長期のように、右肩上がりで、一億総中流の時代は終わっています。終身雇用も年功序列も崩壊しつつあるにも関わらず、企業の人事一つとっても、メンバーシップ型雇用がまだ続けられています。メンバーシップ型雇用に対比されるジョブ型雇用は職種で採用を行う雇用で、企業側からは他の職種に配置転換されることはありません。これなどは、まさに自分の能力と職務を明確に規定した、APIのようなものです。

ある米国企業の幹部に、自分のユーザーズマニュアルを公開している人がいました。「自分はこういう人間である」「このように接すると良い」「このような接し方をすることがあるかもしれないが、悪気はない」このように、自分のことを客観的に記述し、新しく自分の部下になった人や仕事で関係することになった人に読んでもらっていて、社内ではとても好評でした。

ハイコンテクストな、いちいち言わなくてもわかっているような社会は生きやすいですが、機械から扱われるようなレベルで自分の定義を記述し、公開することは、それを否定することにはなりません。今まで以上に機械との共存を考えることが必要になる未来に向けて、そして人間関係をさらによりよくするために、人間の機械化として、自分の役割や人との関わりを再定義してみてはどうでしょう。

<了>

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